両者で議論を重ねることで
明確になった新しい価値
衛星サービスのユーザー像と、実際にどのように使ってもらえるかを明確に想定。その解像度を上げるべく戦略的パートナーと共に開発を進めていく点が、SAMRAIプロジェクト最大の特徴であり、新規性でもある。その先陣を切るカタチで進められているのがウェザーニューズ社とのパートナーシップだ。
「ウェザーニューズは、気象サービスを提供する民間会社です。具体的には、気象情報とお客様のビジネスとをつなげる役割と自覚しています。気象にまつわる課題を技術と結び付け、ソリューションとして提供することをビジネスの核としています」と言うのはウェザーニューズ社の安部氏。
「両社で開始したのが、いわゆる“シナジー研究”です。これはSAMRAI衛星が観測したデータと、私たちが今回JST事業で研究開発を進めている新しい地上観測センサで観測するデータを組み合わせることで、新しい価値を創出しようという試みです」(安部氏)

ウェザーニューズ社とJAXA(宇宙航空研究開発機構)が手を組むことで、これまで気象の世界では不可能だった“水蒸気の分布”を可視化できる可能性がある。これが昨今、大きな問題となっている社会課題の解決に直結する。線状降水帯は、特定の場所に大量の水蒸気が流れ込むことで発生するが、これまではこの流入量を正確に捉えることはできなかった。
「水蒸気の観測は、気象学における長年の課題でした。衛星や気球である程度の観測は可能ですが、データの密度が低く、線状降水帯を引き起こすような局所的な水蒸気の流入を正確に捉えることはできていませんでした。ところがこの取り組みがうまくいくと、水蒸気の流れを衛星と地上の両方からより詳細に捉えられる可能性があります。まさに長年にわたって顕在化していた課題にアプローチできる新たな道が拓かれたと認識しています」(安部氏)
ウェザーニューズ社との共同研究が具現化するために、両者の対話が重要だったとJAXA側の担当者であるグェンも証言する。
「当初は『SAMRAI』単体で、線状降水帯の種となる海上の水蒸気を従来よりも高頻度に観測することで、その発生リスクを識別できるかもしれないと想定していました。しかしながら、検討を進める中で、海上での水蒸気の発生から陸上での発達、そして終息に至る全プロセスを理解するためには、より包括的なアプローチが必要だと分かりました」(グェン)
これまでJAXAでは、多くの衛星を組み合わせて社会課題の解決に取り組んできたが、それでもまだ十分ではなく、衛星以外のデータとの連携も必要だという意識をもっていた。
「そこで今回、ウェザーニューズさんが開発されている地上のレーダー放射計、つまり地上の観測網とJAXAの衛星を組み合わせることで、線状降水帯のライフサイクル全体を追跡するという構想は、両者で議論を重ね、またユーザーと対話する中で明確になっていきました。両社のコラボレーションでより新しい価値が提供できると考えています」(グェン)
外部パートナーとの連携の中で
醸成される組織文化と技術力
グェンが担当する観測データを処理するプロセス、すなわち水蒸気量などのデータプロダクトを作り出す過程にも画期的な手法が採用されている。
「SAMRAI衛星が観測するのは、あくまで地球から放射される“マイクロ波の信号”です。一方で、私たちがユーザーの皆様に提供するのは、水蒸気量や降水量といった、意味のある“物理量”のデータです。この電波信号を、意味のある物理量へと変換、つまり推定するための処理を行う技術、アルゴリズムを開発し、データを作り出す取り組みも行っています」(グェン)
アルゴリズムを作って出力される答えは、必ずしも最初から完璧ではない。そのため、物理量プロダクトの開発においては、衛星が打ち上がってからが“本当のスタート”である。
「もちろん打ち上げ前にも、さまざまな準備をしますが、実際に打ち上がった後、アルゴリズムが出した答えと、現場の観測データとがどれくらい違うのかを比較し、調整する“校正”という作業が不可欠です。新しい衛星であればこの作業に、通常1~2年という長い時間がかかります」(グェン)
ところが今回のSAMRAIプロジェクトにおいては、これまでの衛星開発とは異なり、最初からユーザーと連携し、早期の実用化を強く意識しているため、“校正”期間を、従来よりも短縮する必要があった。
「従来の衛星アルゴリズムは、物理モデルに基づいた手法が中心でしたが、SAMRAIではニューラルネットワーク等の機械学習を積極的に導入。これは、ソフトウェア面での新しい試みと言えます。SAMRAI衛星は、他の衛星では取得できないスペクトルのデータを観測できるため、従来より圧倒的に情報量が多いデータを取得できます。この大量のデータとニューラルネットワークは非常に相性が良く、精度向上を効率的に、しかも早期に得られることが期待できます。すでに試作段階では、相当高い精度のデータを得られる見込みです。ユーザーに提供する標準プロダクトに対して、本格的に機械学習を導入するのは、これまでの研究レベルでの利用とは一線を画す、新しい試みと言えます」(グェン)
ウェザーニューズ社の安部氏と、グェンをはじめSAMRAIプロジェクトのメンバーは、毎週のように顔を突き合わせて議論を重ねてきた。
「一貫して言えるのは、ウェザーニューズ社が非常に“オープン”であるという印象です。事業開発の初期段階では、私たちも手探り状態で、『SAMRAI衛星で気象防災事業は収益が上がるのでしょうか』など、今思えば率直すぎる質問を投げかけていました。通常、このような収益性に関する具体的な数字の話は、特に初期段階ではデリケートなものですが、ウェザーニューズさんは私たちの意図を汲んでくださり、大まかな収益予測も含めて、非常にオープンに議論してくださいました」(グェン)
技術開発の面では、その「風通しの良さ」に驚かされる。ありがたいことにウェザーニューズ社の役員の方々とも、まるで同僚のように対等に議論ができている。
「私のような若手でも気軽に意見交換をさせていただいています。このような縦横の壁がないフラットな組織文化は、大組織ではなかなか見られないものであり、SAMRAIプロジェクトチームもその文化から良い影響を受け、JAXA内でも特に並列的な議論ができるチームになっていると感じます」(グェン)
「おっしゃる通り、私たちは非常にフラットな組織です。例えば、プロジェクトによっては若手が率いるチームにベテランのメンバーが入って業務を進めることもまったく違和感なく行われます。常に新しい価値を創出するために、最適な構造で臨むという姿勢です。人にはそれぞれ得意なことと不得意なことがありますから、個々の強みを最大限に活かすチームを組成するのは非常に合理的です。フラットで最適なものを追求する姿勢は、社内だけでなく、JAXAさんのような外部パートナーとの連携においても同様。周りの皆様とは常に対等な立場で、どうすれば新しい価値を共に創れるかを考えながら、お付き合いさせていただいております」(安部氏)

そう語る安部氏の目に、JAXAという組織はどのように映っているのだろうか。
「非常にソリッドで、素晴らしいパートナーです。その理由は、何をもって社会に貢献するのかという軸が、非常に明確だからです。また、メンバー一人ひとりが極めて優秀で、自分たちが提供する価値を深く理解されています。優秀な個人が集まっている組織は他にもあるかと思いますが、JAXAさんには個人の能力の総和以上の、組織としての強さも感じられます。一つには、インフラとしての設備の素晴らしさがあり、またプラットフォームとしての組織力も挙げられます。例えば、衛星のアイデアを思いついても、それを実際に形にして打ち上げるまでには多くの人が関わりますが、JAXAにはそれを実現する組織的な力があります」(安部氏)
その一方で、最終的に優れたソリューションやデータは、一人か二人の突出した個人のアイデアから生まれると信じていると言う安部氏。
「その意味で、グェンさんをはじめ皆さんが開発されているプロダクトには、彼らの素晴らしいアイデアが凝縮されています。JAXAが、そうした個々人が新しい価値を生み出すことを尊重し、それが目に見える形で現れている点が、私がJAXAさんを高く評価している理由です」(安部氏)

社会実装を目指す、
完全なボトムアップ型プロジェクト
民間事業者であるウェザーニューズ社にとって、このSAMRAIプロジェクトに参画する意義とはどのようなものなのか。
「まず線状降水帯という、これまで観測が難しかった現象をより詳細に捉えられるようになる可能性がある。これは深刻な社会課題ですから、その解決に貢献できるという点で、大きな意義があると考えています。また、私たちのビジネスという観点では、その可能性は多岐にわたって広がっていきます。例えば海運業界において、精度の高い気象情報がビジネスの根源を変える可能性がある。このように社会のさまざまな場面で活用できるコンテンツが、このプロジェクトから数多く生まれるのではないかと期待しています」(安部氏)
グェンは、SAMRAIプロジェクトがJAXA内にもたらす意義も大きいのではないかと話す。
「社会実装を目指す、ボトムアップ型のプロジェクトです。事業開発・技術開発どれをとっても新しい方式で、このような事例は、特に地球観測の分野においては、これまでほとんどありませんでした。SAMRAIは、そのモデルケースとして、今後JAXAの中で非常に注目される存在になっていくに違いありません。また、JAXAとして新しい挑戦をしている今だからこそ、JAXA創設当初の、衛星開発に臨んだ研究者たちが抱いていたような純粋な探求心やモチベーションが再び生まれ、広がっていくのではないかとも思っています。 新しい宇宙探査機の研究者は皆そうだと思います。まさに『はやぶさ』がそうでしたが、“この探査機が持ち帰るデータには、一体どんな情報が含まれているのだろう”と、ワクワクしながら研究に臨んでいました。その高揚感を地球観測の分野で味わえる機会は、めったにありません。しかし、今まさに、SAMRAIチームのプロジェクトでそれを体験できるのです」(グェン)
気象防災の領域で第一線を走るウェザーニューズ社が先陣を切って参画したことに続き、他の分野のパートナー企業や大学・研究機関の参画も広がっている。社会実装を見据えた、この上なく強力な産学官連携の体制が確立しつつある。 それぞれの知見と技術、思いが結集することで、SAMRAI衛星が切り拓く未来社会の実現もそれほど遠くない。


