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「命を守る宇宙からの画像リレー」
~地球観測衛星「だいち」と、国境を超えたデータ中継網~

JAXA 執行役道浦 俊夫

スペシャルインタビュー動画

2006年2月、打ち上げられたばかりの地球観測衛星「だいち」から、初の撮影映像が地上に届いた。 「すごいぞ」「ここまで見えるのか!」。そこに映っていたのは富士山の雄姿だった。美しい稜線、ふもとの山々、甲府盆地の街並み。細部まで描かれた画像に、誰もが息を飲んだ。

「だいち」の快挙を最も喜んだ一人が、日本における地球観測衛星の開発に初期から携わってきた道浦俊夫だった。 しかし彼は心の片隅で、「これではまだ見えていない」と、さらなる高性能化を誓う。脳裏にあるのは、阪神淡路大震災で倒壊した実家の姿。神戸出身の道浦には、衛星の力で災害から人々を守るという強い思いがあったのだ。

日本初の観測衛星誕生

道浦が初めて地球観測衛星の開発を手掛けた、「だいち」の打ち上げから30年近く前、まだ入社1年目のことだった。 NASAが1972年に世界初の地球観測衛星「ランドサット」を開発し、日本にも観測衛星を、という声が高まっていた。日本は国土を海に囲まれた海洋国家。陸域観測衛星に先立って、まずは海洋観測衛星を開発することが決定した。

どんなセンサを搭載するか。どうやってデータを受信するか。すべてがゼロからのスタートだった。 道浦は渡米してNASAの技術を学び、海洋観測の手法を知るため漁業関係者にも協力を仰いだ。検出器には、世界一高性能と言われていた日本のファクシミリの技術を応用した。こうして手さぐりで誕生したのが、日本初の海洋観測衛星「もも」だった。

「もも」の開発は、大成功と呼べるものだった。宇宙から届く海水温や赤潮の情報は水産業の助けとなり、続いて陸域観測衛星も開発された。「もも」の開発で得た経験を足掛かりに、日本の地球観測衛星の基礎が、一歩ずつ確立されていった。

画像:NASAの技術を学ぶために渡米した道浦

日本初の地球観測衛星の開発に向けNASAの技術を学ぶために渡米した道浦。後ろに映っているのは、ニューヨークの貿易センタービル。

高速通信の鍵は国際協力

道浦たちの次なる課題は通信環境の強化だった。地球観測衛星は地球の周りを高速で周回するため、 観測センターとの交信が途切れ途切れになる。そこで、地上と安定した通信のできる衛星を静止軌道上に打ち上げて、データを中継させる計画が進められた。

データ中継衛星の研究中、NASAからある提案があった。NASA、JAXA、ESA(欧州宇宙機関)の3機関でデータ中継衛星のテレメトリーコマンド(衛星の動きをチェックする機能)を統一し、 故障時にお互いサポートできるようにしようというものだった。道浦は、これを大きなチャンスだと考えた。テレメトリーコマンドだけでなく、画像データ等の高速データ中継も統一すれば、 緊急時には他国の衛星も利用して、より早く衛星からの画像を受信することができる。

NASAは当初難色を示したが、道浦はESAのメンバーと協力し、協議の結果、道浦たちの希望どおり高速データ中継システムの相互運用が決定された。国の壁を越えてデータをリレーできる、画期的なネットワークが宇宙に築かれることになったのだ。

画像:データ中継衛星「こだま」の概要図

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データ中継衛星「こだま」の概要図。他の衛星からデータを受け取り、安定した高速通信で地上へデータを送信することができる。

画像:NASAのホワイトサンズ局を視察

データ中継衛星のシステム統一に向けて、NASAのホワイトサンズ局を視察した際の写真。現地の局員とともに撮影。(一番左が道浦)

実家が被災、高まる防災への思い

1995年1月17日、道浦とって忘れられない出来事が起きた。阪神淡路大震災だ。神戸には道浦の実家があり、両親が2人で住んでいる。 東京から何度電話をかけても繋がらない。テレビを見ても被害の全貌がつかめない。情報網も交通網も遮断され、被災地が情報の真空地帯になっていた。 「観測衛星がもっと進化していれば…」。道浦はもどかしい思いで、被災地からの情報を待つことしかできなかった。

両親の無事が確認できたのは、地震発生から丸一日たった深夜だった。実家は1階部分が倒壊。両親は助け出され、震源地から少し離れた姉の家に避難していた。 両親の無事に安堵する一方で、道浦は心に強く決めた。「災害情報をもっと早く、もっと詳しく得られる衛星を作らなくてはならない」と。

神様がくれたご褒美

震災から11年の月日が経ち、地球観測衛星「だいち」が宇宙へ飛び立った。「だいち」は地表の様子を3方向から観測する立体視センサを搭載しており、高度700kmからでも民家を識別することができる。 撮影画像はデータ中継技術衛星「こだま」を経由して、観測センターに高速で送信される。「だいち」と「こだま」が通信できない時にはNASAのデータ中継衛星を経由して、米国のホワイトサンズ局でデータを受信することも可能になった。 「だいち」はまさに、JAXAの技術の集大成とも呼べる地球観測衛星だった。

道浦は、「だいち」が撮影した富士山の画像を見たとき心から驚いた。それは、計画段階で作ったシミュレーション画像にそっくりだったのだ。 富士山の姿が鮮明に撮影できたのは、衛星の開発が計画どおりに進んだからにほかならない。初めて「だいち」が撮影し、送ってきた画像には富士山近辺以外の部分には雑音がのっており、このままではあまり使えなかったのだが、 富士山の雄姿だけは見事にとらえられていたのだった。「神様がくれたご褒美だ!」道浦はそうつぶやき、さらに高度な地球観測衛星の開発を目指すのだった。

画像:「だいち」が初めて撮影した富士山の映像

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「だいち」が初めて撮影した富士山の映像。高度データを合わせることで、地表の様子が立体的に描き出されている。

画像:アジア防災会議の会場

バリで開かれたアジア防災会議の会場にて。アジア各国の防災機関と宇宙開発機関が今後の防災計画を話し合い、道浦(写真左)が共同議長を務めた。

道浦はいま、「だいち」の利用促進と、それを踏まえた2号機、3号機の立ち上げに力を注いでいる。「だいち」の後継機で道浦が目指すものとは何なのか。

(道浦)「第一の目標は、画像の精度を1m単位まで向上させることです。私の実家もそうでしたが、木造住宅は地震の際、1階が押しつぶされやすい。 屋根がそのまま残るので、上空からの撮影では被害が分かりにくいのです。でも、立体視センサの精度が1m程度まで向上すれば、建物の高さから被害の状況が分かるようになります。 画像の精度を上げて、倒壊した家屋を見分けることが、ひとつの目標です。

もうひとつの目標は、24時間いつでも衛星のデータを受信できるネットワークをつくることです。 これは、NASAやESAとデータ中継のシステムを統一したことで実現に一歩近づきました。今後さらに世界各国が連携を強化して、いざという時には最寄りのデータ中継衛星から、 最寄りの地球観測衛星で最短の方法でデータをリレーできる体制を整えたいと思います。

この2つが実現できたとき、地球観測衛星は本当の意味で役立つ存在になるでしょう。どこに救助隊を送ればよいか。 どのルートで行けば安全か。そんな情報を宇宙から瞬時に得られる環境ができるまで、私たちは努力し続けます」

画像:道浦 俊夫 氏

スペシャルインタビュー動画

画像:スペシャルインタビュー~宇宙を招いた挑戦者たち~

「あなたにとって宇宙とは?」
あなたにとって宇宙についてを語ったショートインタビューが動画でご覧いただけます。

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