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「眺める宇宙から活用する宇宙へ」
~気象衛星ひまわり1号 誕生までの800日~

JAXA 技術参与堀川 康

スペシャルインタビュー動画

3、2、1、0 … !
1977年7月14日、アメリカのケネディ宇宙センターに、ロケットの発射音と関係者たちの大きな歓声がこだました。それは、日本初の気象衛星ひまわり1号が宇宙へ飛び立つ瞬間だった。

肩を叩き合って打ち上げ成功を喜ぶ米国メーカーの技術者たち。その中に、ひときわ晴れやかな笑顔で空を見上げる日本人がいた。 気象衛星開発の監督員としてアメリカの開発現場に駐在し、製造の過程を2年3カ月にわたって一番近くで見守った堀川康。彼はひまわり1号開発の舞台裏で何を見つめ、何を思ったのか。

実用衛星の開発を急げ

1969年、アポロ11号の月面着陸が衛星中継され、世界中の人々をテレビにくぎ付けにした。 同じ年、日本では宇宙開発事業団(通称NASDA。JAXAの前身)が発足。米国の後を追うべく試験衛星の開発に力を注ぎ、国産による実用衛星の開発技術を基礎から固めていた。

しかし、実用衛星の早期開発を求める声は高まるばかり。中でも雲の動きを観測できる気象衛星は社会にとって、明日にでも欲しい存在だった。 国産での製造開発をゼロから目指していたのでは間に合わない。米国メーカーに製造を委託して、気象衛星を迅速に開発しよう。そんな急務がNASDAに与えられたのだった。

万歳三唱に込められた期待

気象庁との連携により、気象衛星第一号の仕様が間もなく完成。実際の製造開発は国内のメーカーを通して、米国のヒューズ社(現ボーイングスペースシステムズ社)に委託されることが決定した。 そして、現地に滞在して製造過程を監督する海外駐在員に抜擢されたのが、入社2年目の堀川康だった。

堀川に課せられた第一の任務は、気象衛星が気象庁の求める仕様どおりに作られるよう監督すること。 そしてさらに大きな任務は、衛星開発のノウハウを現場で習得することだった。堀川は突然の辞令に驚きはしたものの、心に迷いはなかった。「最先端の技術を持ち帰り、国産機開発の道筋をつけてみせる!」そんな決意を胸に、空港へ向かったのだ。

空港にはNASDAや気象庁、友人・知人等も見送りに大勢集まり、万歳三唱が高らかに響いた。皆の期待を背中に強く感じ、堀川は飛行機に乗り込んだ。

技術の壁と機密の壁

しかし、現地で堀川を待ち受けていたのは言葉の壁と、技術者たちの冷たい視線だった。 日本と米国の間には、歴然とした技術力の差があった。「黙って見ていろ」「日本の技術者に何が分かる」。華々しい実績を持つ米国のエリート技術者たちの険しい態度が、堀川には悔しかった。 さらに堀川の気を滅入らせたのは、情報の流出を防ぐ厳重な警備だった。米国にとって宇宙開発技術は重要な国家機密。設計図を見ることさえ許されず、拳銃を持った警備員がガードを固める。 最先端の技術がすぐ目の前にありながら、何も出来ない自分がもどかしかった。

周囲の雰囲気が変わったのは、あるトラブルがきっかけだった。衛星に搭載されるカメラの画像を伝送する際にエラーが起こり、モニターに正しく再生されないという。 アメリカ人技術者たちが騒ぐ中、堀川は無言でデータを見つめ考察した。そしてプライドと執念で、エラーの原因について、いろいろとアドバイスを始めたのだった。

堀川の指摘もあり、問題は無事解決した。その日を境にアメリカ人技術者たちとの会話が増えた。資料や設計図を共に囲み「ヤス、ここはどう思う」と意見を求められることさえあった。 それは堀川が一人の技術者として、開発メンバーに受け入れられた証だった。

命名「ひまわり」

1977年7月14日、数々の困難を乗り越えて気象衛星第一号は宇宙へ飛び立った。堀川の赴任からすでに2年3カ月が過ぎていた。その間に記したレポートの数は300以上に上っていた。仕様の決め方、部品の選び方、トラブルの回避方法など、現場にいなければ得られない貴重な情報が詰まったレポートは、後に一冊の本にまとめられ人工衛星開発のバイブルとなった。

帰国の時が間近に迫った堀川のもとに、日本から一本の連絡が入った。気象衛星第一号を『ひまわり』と命名するという。「あぁ、いい名前だ!」堀川の顔がほころんだ。誕生までの2年3カ月を見つめ続け、どこにどんな傷があるか隅々まで知っている衛星に、堀川はわが子のような愛着を感じていた。

ひまわりは、いつも太陽を見つめている花。空の様子を見つめる気象衛星にぴったりだ。明るく咲き誇るひまわりのように、人々の暮らしを照らす存在になってほしい。そんな気持ちで空を見上げながら、大きな任務を終えた堀川は帰国の途についた。

打上げ直前の「ひまわり1号」と。
ケネディ宇宙センターにて。
(写真左:堀川)

ひまわり1号の開発から30余年。堀川はその後、ひまわりの後継機や宇宙ステーション、地球観測衛星などの開発に携わり、人々の暮らしに役立つ宇宙開発に取り組み続けてきた。堀川はいま、宇宙開発にかける想いをこう語る。

(堀川)「ひまわり1号の開発現場に立ち会えたことは、その後の開発の礎となる貴重な経験でした。しかしある意味、まだ達成感は得られていません。欧米諸国に比べて日本の技術はいまだに遅れています。追いつき追い越すことが私の悲願なのです。

膨大な資金と国力のもとに複数のプロジェクトを進める米国と違って、日本ではひとつの失敗が宇宙開発全体を何年間も止めてしまう恐れがあります。開発に失敗はつきものだといいますが、私たちに失敗は絶対に許されない。全てのプロジェクトを100%成功させて次に進むことが、私の譲れない信念です。

私たちJAXAの役割は、人工衛星がいかに暮らしに役立つか実証し、宇宙開発の必要性と活用方法を人々に説くことです。人々が幸せに暮らせる未来を創るため、これからも宇宙開発の裾野を広げていきたいと思っています」

画像:堀川 康 氏

スペシャルインタビュー動画

画像:スペシャルインタビュー~宇宙を招いた挑戦者たち~

「堀川にとって宇宙とは?」
宇宙とはなにかについてを語ったショートインタビューが動画でご覧いただけます。

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過去のインタビュー一覧

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画像:ロケットの情報を掲載 ロケットナビゲーター
画像:宇宙から見た地球を紹介 地球観測研究センター
画像:衛星利用の情報を発信 衛星利用推進サイト
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