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日本発、長寿命ホールスラスタ

日本発、長寿命ホールスラスタ

研究開発部門 第二研究ユニット/第一宇宙技術部門 技術試験衛星9号機プロジェクトチーム 併任
張 科寅

国産ホールスラスタの設計に一区切りがつき、地上試験モデルの試験が本格化します。 そこで、JAXAでホールスラスタの開発をしている張科寅(ちょうしなとら)さんに、 ホールスラスタの特徴やどのような良さがあるかなどについて、お話しを聞きました。

張 科寅(ちょう しなとら)さん

― なぜホールスラスタを開発しているのですか?

JAXAでは、全電化衛星の開発を進めていて、その全電化衛星の中心に位置づけられるのが、ホールスラスタと呼ばれる電気推進機です。 (JAXAが全電化衛星である技術試験衛星9号機を何故開発しているかはこちら https://www.satnavi.jaxa.jp/ja/project/ets-9/index.html) ロケット分離後の静止軌道投入、姿勢軌道制御を化学推進系ではなく、すべてホールスラスタで実施します。 ホールスラスタは化学推進に比べて非常に比推力(Isp)が高い(燃費がよい)ので、これにより、従来の静止衛星で大きな質量割合を占めていた推薬量を大幅に低減できます。

ホールスラスタ

― ホールスラスタの特徴を教えてください。

ホールスラスタは、はやぶさ1、 2などで使われたイオンエンジンと同じく、電気の力を利用する推進機です。 噴煙をあげて飛んでいくロケットのメインエンジンのように、化学反応の燃焼熱エネルギーを使う化学推進と違い、電気エネルギーを使いますので、推薬あたりに投入するエネルギーを非常に高密度にできるのが低燃費の秘訣です。 人工衛星を用いた事業において、電気推進衛星では推力が小さいため、サービスインが遅れ、その分の運用コストもかさむので、商用の観点で推力は重要です。 そのため、全電化衛星の推進システムとしては電気推進の中でも大きな推力を発生させるホールスラスタが最適と言われていて、各国競ってホールスラスタを搭載した衛星を打ち上げています。 その中で、技術試験衛星9号機ホールスラスタの特徴(下図参照)としては、中和器(カソード)がスラスタの中央部に搭載され、センターカソードとよばれる設計になっていることです。 カソードは、スラスタが噴射するイオンビームを電気的に中和するために必要な機器なのですが、従来はスラスタの横に配置されていました。 しかし、これではプラズマの対称性が悪く、スラスタにもカソードにもプラズマによる負荷が大きくなってしまいます。 そこで、技術試験衛星9号機ホールスラスタでは、うまくスラスタ中央に配置できるように設計し、高性能や長寿命といったメリットを得ています。 センターカソードのアイデアは、公開情報の範囲では私の指導教員である荒川義博先生(東大名誉教授)の研究室で実験したのが最初だと思いますが、 静止衛星に適用して宇宙実証するのは技術試験衛星9号機が世界初となる予定です。

JAXAが開発したホールスラスタのしくみ

特徴としてカソード(中和器)がセンターに配置されています。
センターに置くことで、イオンビーム中和に伴うエネルギー損失が低減され、低損失長寿命が期待されます。

― ホールスラスタは、どのぐらいの推力があるのですか?

技術試験衛星9号機ホールスラスタ1機の推力は35gfくらいです。はやぶさイオンエンジンは推力1gfくらいで、よく「1円玉1枚を持ち上げる力」に例えられていました。 それにならうと「いちご(35g)1粒を持ち上げる力」でしょうか。地上では非常に小さな力です。 ただし、宇宙では空気抵抗がないため、この小さな力でも数千時間噴射すれば大きな力積になります。 力積は、力×時間で、技術試験衛星9号機ホールスラスタ1機あたりの力積は、おおよそ8MNsです。これは10トンの力を80秒発生させたのと同じだけの加速が得られます。 実は、イプシロンロケットの3段固体モータがおおよそ推力10トン、燃焼時間90秒でほぼ同じ力積ですので、長い目で見れば意外にパワフルなのがわかります。 1年は時間に換算すると8,760時間しかなく、ホールスラスタ噴射試験は小さな力で数千時間も費やすため結構大変です。

― ホールスラスタが青白く見えるのは、どうしてですか?

キセノンプラズマの発光です。キセノンは空気中に含まれる希ガスでキセノンランプが一般的には有名ですが、高輝度で安定、演色性がよいため、身近な例では医療用の照明や映画館などでよく使われています。 ホールスラスタでは推進剤にキセノンを使っていて、電子がXe原子を励起させ発光します。Xeの励起準位は非常に多数あり、実は、電子温度によって励起の仕方が異なり、発光も見え方が異なります。 具体的には電子温度が低ければ紫っぽくなり、高ければ青白く見えます。ホールスラスタが青白く見えるのは、高いエネルギー状態で効率よく作動しているからです。

― 初の国産ホールスラスタを軌道上実証するミッションの内容を教えてください。

全電化衛星の推進システムとしてのホールスラスタの役割は、静止軌道投入と姿勢軌道制御です。 1機のスラスタながら求められる作動がそれぞれ大電力、 小電力と異なるのですが、技術試験衛星9号機ではその双方を実証します。 具体的には、技術試験衛星9号機の静止軌道投入中に、大電力噴射を実証します。 また、静止軌道に到着してからは、姿勢軌道制御用の小電力モードでの噴射も実証します。

ホールスラスタによる軌道遷移イメージ

数値シミュレーション

実験機として搭載するのが日本として初なので、まずはしっかりと安定して推力が発生するかを実証します。
安定作動中にも、動画のシミュレーションのようにわずかなプラズマの揺らぎは常に存在しています。
不安定化すると揺らぎが増大し、様々な劣化現象や電磁ノイズが発生してしまいます。スラスタの安定性が最重要です。

― ホールスラスタ開発のためにJAXA相模原キャンパスに大型ホールスラスタ用試験設備を整備し、試験設備の初期運用は目標達成ができたと聞きました。試験設備の特徴を教えてください。

試験設備、すなわちホールスラスタ用真空チャンバの一番の特徴は、大きな排気能力と排熱能力が必要なことです。 スラスタは推進剤をプラズマ、つまり高温のガスとして吐き出します。設備としては、多量のガスと熱が入る状態にも関わらず、高真空を維持する必要があるわけです。 これにはクライオポンプが一般的に使われています。排気能力が高く、汚染物質を出さないからです。ただし、クライオポンプは熱に弱いです。 ガスを極低温まで冷やして、固体として吸着させることで、真空度を高めるという仕組みのポンプなのですが、熱が入るとせっかく固体にしたガスがまた気体に戻ってしまい用をなしません。 そこで海外では、装置内の大部分を液体窒素で冷却することでスラスタによる熱を吸収しています。ただし、大量の液体窒素の運用はコストがかかります。 また、極低温の装置ですので、一度故障すると復旧にも時間がかかります。国内に十分な設備がなかった理由は、そういったランニングコストの影響もあると思います。 そこで、われわれは液体窒素を一切使わず、チャンバを水冷で排熱する設計にしました。ポンプも、はやぶさイオンエンジンの開発で実績のある汎用品を使いました。 装置の故障に備えて、「なるべく特殊なものを使わずに汎用品を使うこと。壊れたとしても、隣の研究室からもってこれるようなものを先々使用した方が絶対良い」、という國中均先生(JAXA理事)の教えが、アイデアの大本です。 約1年かけて、設備は2017年に出来上がりました。この施設ができるまでは、海外の設備で試験をしていましたが、年に2回しか試験ができない、トラブルがあるとすぐに直せない状況でした。 できた当初も海外の設備が動かず、ぶっつけ本番で最大4,000時間の試験に耐えてくれました。設計した設備が動いてくれるのか、設備が耐えられるか心配でしたが、ちゃんと動いてくれてほっとしたのを憶えています。

JAXA相模原キャンパスにあるホールスラスタ真空チャンバ

― 実施中のホールスラスタの試験で、どのような成果を目指していますか?

スラスタ単体では、大電力の軌道投入モードのBBM耐久試験を完了しており、推進性能・耐久性共に問題ないことを確認できております。 具体的には、4,000時間にわたるスラスタの連続作動を実施し、スラスタの損耗劣化状況や、推力・放電特性の変化を計測しました。 結果として、スラスタの損耗劣化や特性変化が想定の範囲内であり、要求される寿命・性能・安定性を十分満足できる見込みを得ました。 今後の課題としては、一番はやはりホールスラスタ用電源との噛み合わせです。ホールスラスタにとって、電源は電気エネルギーの供給源であり、コントローラでもあるため、電源なしでは語れません。 並行して進行中の電源開発と二人三脚でうまく呼吸を合わせて、安定で確実に動く推進システムにする必要があります。 次年度行われるEM(エンジニアリングモデルと呼ばれる試作品)での噛み合わせ試験は、大きなマイルストーンと考えています。

― 張さんのホールスラスタを開発するようになった(魅了された)きっかけ・出会い・苦労したこと・大胆な試みやどう乗り越えてこられたのかを教えてください。

大学院からホールスラスタの研究をしているのですが、学部時代にプラズマを用いた推進機に興味を持ったのが最初です。 様々な種類のものがある中で、正直一番よくわからないと思ったのがホールスラスタでした。 構造が非常にシンプルなわりには、物理現象が複雑で、すっきりした理論がない。それでいて1970年代には、宇宙実証されていて100機を超える人工衛星で実用されている。 理由はみんなよくわかってなさそうだけどうまく動いている推進機。そんなところに興味を惹かれました。 それは今も変わっておらず、理論や数値シミュレーションでうまく現象を捉えることができないか、未だにチャレンジを続けています。 今回の開発では、そういった理論モデルや数値シミュレーションもフル活用されていて、プラズマ負荷に対してスラスタが十分な耐久性を持つことを、初期段階から確認しつつ設計を進めています。 試験データが少ない中で、数値シミュレーションを設計に使うのはなかなかに大胆な試みだったと思いますが、なにぶん数千時間動かしますので、事前にある程度予想ができたのはよかったと思います。 ただ他にも大変なところがいっぱいあって、特にセンターカソード実証のための構造設計にみんなで大変苦労しているところです。それでも、ずっと考えていても飽きないのが、ホールスラスタのいいところだと思います。

試験データ

― 張さんのホールスラスタの個人的な印象を教えてください。

神秘的で美しいと感じています。シンプルイズベストを体現したものになっていて、例えばイオンエンジンでは、プラズマの生成と加速をグリッドで完全に分離して行うのですが、 ホールスラスタでは、空間に広く印可された磁場の中で、生成も加速も渾然一体で行われます。 イオンエンジンのように緻密な構造物でプラズマを制御するのではなく、安定で損失が小さい状態に自然になるよう、ある意味プラズマの自己調整に委ねているイメージです。 結果として、原理的にコンパクトで低損失、ロバストになっています。ただし経験則はあれど、磁場中での電子の輸送すなわち"プラズマの自己調整"のメカニズムは、未だに解明されておらず今でもホットな研究テーマになっています。 そこに、神秘性と機能美を感じざるを得ません。ホールスラスタの設計をなにかに例えるなら、「子育て」でしょうか。 雑でも作動しないことはないが、手塩にかけた分、応えてくれますし、変に細かくコントロールしようとするとヘソを曲げてしまう、そんなイメージを持っています。

― 最後に、宇宙に興味を持ったきっかけと今後の張さんの目標を教えてください。

ガンダムから宇宙へ興味を持ちましたが、宇宙へ行きたい気持ちがあったので推進系を選びました。 その中でも、これから注目される電気推進を選びました。宇宙開発の役に立つ推進機をつくりたい、というのが一番です。 実社会に役立つホールスラスタをつくって、ホールスラスタに興味を持つ方が一人でも増えたらと思います。また、工学的にも理学的にも興味深い研究テーマは多数あり、引き続きチャレンジしていきたいと考えています。

プロフィール

張 科寅(ちょう しなとら)

中華人民共和国 江蘇省無錫市生まれ。東京大学航空宇宙工学専攻修了。博士(工学)。現在宇宙航空研究開発機構 研究開発部門 第二研究ユニット(技術試験衛星9号機プロジェクト併任) 研究開発員。専門は電気推進工学。

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